さくさべ坂通り診療所に来て、最初に訪問に行ったのは中皮腫のAさんのお宅でした。Aさんは呼吸困難があったので、在宅酸素療法を行っていました。それでも、気分のいい日には昼間はお庭を散歩して、今日は何千歩歩いたと経過表に書いている、そんな患者さんでした。
病院で在宅酸素療法を行っている人は、1日中酸素を吸っています。病室でも、病室を離れるときもずっと鼻に酸素のチューブを付けています。それが当たり前のことでした。でも、Aさんは自分の判断で酸素を使ったり、使わなかったり、体調に合わせて上手に酸素を利用していました。
ある日のこと、バイタルサイン(血圧、脈拍、体温、呼吸など、患者さんの体の状態を把握するための数値情報)を測ると、血中の酸素濃度がとても低かったのです。いつも90以上あるのに、その日は80台。それでも、酸素は使っていませんでした。
「えーっ、こんなに酸素濃度が低いんだったら、酸素を吸った方がいいのに。何で酸素を吸わないんだろう」。一瞬、心の中でそう思ってしまったのです。思わず「酸素を吸った方がいいんじゃないですか」と言ってしまいました。「何で?」とAさん。私は「少し酸素濃度が低いから調整したほうが」と答えて酸素を勧めました。
診療所に戻ってそのことを大岩先生に報告すると、「酸素は何で吸うんだ?」と聞かれたのです。「えっ? 苦しいからですよね」としどろもどろに答えると、「そうだろう。苦しくないのに、何で酸素を吸えって言うんだ?」と言われてしまいました。血中の酸素濃度が低いから酸素が必要なのでは、そんな私の思いが先に立ったために犯した失敗でした。
翌日、お宅を訪問すると、Aさんは私の顔の前に鼻に付けるチューブを持ってきて、くるくる振り回してきます。「何で酸素が必要なの?」と問いかけるように。ハッと気づいて、「そうですよね。酸素は苦しいときに吸うんですよね」と言うと、「そうだよ」とAさん。思わず「すみませんでした」と謝りました。
酸素は患者さん自身が苦しいと思うときに吸う。Aさんが私に教えてくれた教訓です。酸素をどんなふうに使うかは人それぞれです。息が整わないから使うという人もいれば、天気が悪くて調子が悪いときだけ使うようにしているという人もいます。ある距離を歩くとき、ここまでは酸素を使って歩いて、ここからは外してと、決めごとを作って酸素と付き合っている方もいます。
どういう使い方が正しいという答えはありません。患者さん自身が苦しい症状に困らないように、自然に上手な使い方を編み出していくようです。それを理解してサポートしていくことが看護師の役割なのだと思います。

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